制作者より

企画・原案 永戸 祐三

「地域社会をよりよくしたい そんなことのために働く事が出来る。その事実を映像にして欲しかった。

私たちは社会の困難と向き合い、協同労働を通じて少しでもよりよい方向へ社会を創っていきたい。

そう念じて仲間-組合員は地域で奮闘している。その努力はしかし思うようによい結果を出すとは限らない。

ひたすら努力をしていても迷い、自らを疑うことの方が多いかも知れない。

そんな日々が多くの組合員のところでは、その努力している地域では続いているといっていい。

地域では真摯に社会のために活動している人、地域のためにと経営する中小企業や様々な団体の方々が多く存在する。しかし、そうした努力が必ずしも結び合ってさらに大きな力となり、地域力となって高まっているという例はそう多くない。

それぞれが孤立したとりくみになって続いているというような状態の場合がむしろ普通になっている気がする。

地域の分断状態である。

もしこれが有効にネットワークされれば、どれだけ多くの人が地域社会にとって必要な存在となり、もっと大きな有効な力

を発揮する主体に育つはずだと思う。むしろ、そうしたネットワークの形成を地域は待っていると思うようになっていた。

そんな時、ひらめきとでもいうのだろうか、墨田の地域の私たちの営みと地域の人々のいまのあり様をありのままにみてみることができたなら、大きなヒントがみんなに与えられるようになると思った。いわば、映像の力で墨田の協同の営みを焦点にして俯瞰してみればどうだろうかと思い、森監督にお願いした。

監督にお願いして、完成は2012年6月の総会・総代会までにとしたので、6~7ヶ月で、と無理な相談だった。

そんなこともあってスムーズに映画の製作が進むためにも必要と思い、墨田区長にもお願いし、区長さんからは

「できることは協力する」と快諾を得て、公共施設での撮影もスムーズにいったと聞く。

この映画づくりのとりくみ自身の中で、あたらしい協同の地域のネットワークが新しく生まれ、育ったように思う。

【プロフィール】

永戸 祐三 (ながと ゆうぞう)昭和22年8月23日 京都府生まれ中央大学 第二法学部 卒業昭和52年 全日本自由労働組合本部 入職昭和57年 中高年雇用福祉事業団 全国協議会 事務局長平成 7年 日本労働者協同組合連合会 理事長平成17年 日本労働者協同組合連合会 センター事業団 理事長

を経て

現在、日本労働者協同組合(ワーカーズコープ)連合会 理事長

「協同労働の協同組合」法制化をめざす市民会議 会長代行

映画 市川準監督作品『病院で死ぬということ』企画

森康行監督作品『ワーカーズ』企画・原案

趣味

激務の合間に、職場でカレーやしめ鯖を沢山作り振る舞う。仲間達の美味しい笑顔が安らぎのひと時。

監督 森 康行

大きな不安の中で

この映画を受けることになった時、私はおおきな不安にかられていました。

成果主義・効率優先の働き方や考え方が横行する中、一人ひとりは切り離され、バラバラになり

私たちの身の回りには格差が広がり、貧困が蔓延し、先行きの見えない閉塞した状況の中で

どのように一人一人は生きていくのだろうかという不安でした。

この映画化の話しがあった時、真っ先に頭に浮かんだのはかって聞いたある若者の言葉でした。

「就職試験を40社50社受けて全部落とされると、もう自分なんてこの世の中で必要とされてない人間

だって思えてくるんです」

その若者の不安は私の不安であり、多くの人たちが抱える不安でもあります。

同時に孤立死・無縁社会という言葉が当たり前のように使われている社会。

そこまで人間の関係は壊れてしまっているのかと唖然とした思いを抱きました。

団塊の世代のすぐ後に生を受け、高度成長時代の真っ只中を過ごしてきた私には大きな衝撃でした。

誰もが自分自身の人生を自分の足で生きていくことができる世の中であるべきだと考えて生きてきたはずなのに。

いつのまにかそれとは程遠い、いやそれ以上に生きにくくなっている現実が今という時代だということを

改めて思い知らさました。仕事もない、将来への見通しも立ってこない。自分はどうなっていくのだろう、

果たして自分自身の人生を生ききることが出来るのだろうか。

3・11以来、いままでの社会の在り方、一人ひとりの生き方までが大きな価値の転換を求められているはずなのに

ちっとも変わらない日本。どうしたらこの大きな不安を払しょくして一人ひとりが持ち味を発揮して生きていけるのだろうか

ということがこの映画で少しでも見えることができるのならば、と考えて取り組みました。

仕事 生きがい いのちの協同を

こころを合わせ、力をあわせ、助け合ってともに仕事をすることが協同だといいます。

ワーカーズを取材してみて地域の人たちと結び合い、一人ひとりの問題を一緒に解決し、

地域の新しい共同体をつくる試みの現場に立ち合わせていただきました。

それぞれの事業所ではそれこそ目いっぱい働くとともに地域の人たちとの協同をめざしています。

しかし、地域は長い時間をかけてできたところ。そう簡単に受け入れられ、一緒に仕事ができるはずはありません。

撮影をしていてよく目にした風景があります。それは長い時間をかけ地道に討論が行われている様子です。

それを見て私は思いました。時間がかかり、なかなか意見がまとまらず、答えもそう簡単にでてくるものではなく、

やっかいなものであるかもしれない。しかし、その積み重ねの中から、これからの時代にあった地域とのつながりや

新しい知恵も生まれてくるのではないだろうかと。

時間がかかっても徹底した民主主義を貫くこと。

そこから初めて地域の人たちと一緒に地域のためになる仕事が実現するのではないかと思います。

そしてそれは自分の働き甲斐に通じるものであれば、より自らが行っている仕事に対する働きに喜びが感じられ、

生きがい、誇りにつながっていくのではないでしょうか。

地域には長い時間とそれによってつくられた人間関係が豊かに存在しています。

その地域の豊かさに溶け込むと同時に、そこに新しいワーカーズコープとの新しい協同が

生まれることを期待してやみません。

新しい働き方をめざし、福祉社会を念頭において活動するワーズコープはバラバラになってしまった人間関係を

取り戻すために、全国でその取り組みをはじめています。

日本ではまだ少ない協同労働という働き方。雇用労働や自営業のみならず新しい選択肢のひとつとして

こんな働き方を志向しているひとたちもいるんだということを考えていただければ幸いです。

【プロフィール】

森 康行(もり やすゆき)

1950年(昭和25年)2月22日

1950年 掛川 緑町生まれ

1970年代に記録映画の製作に携わる。

1980年代よりTVドキュメンタリー、記録映画の監督を務め現在に至る。

主な作品として高知県の高校生がビキニ被災漁船を追い、856隻もの日本の漁船が被曝していた事実を描いた「ビキニの海は忘れない」(キネマ旬報文化映画ベストテン10位)。同じく高知県の高校生が在日コリアンの高校生との友情を育む「渡り川」(キネマ旬報文化映画ベストテン1位・毎日映画コンクール記録映画文化賞)。夜間中学を描いた「こんばんは」(キネマ旬報ベストテン文化映画部門1位・毎日映画コンクール記録映画文化賞・第1回日本記録映画大賞)。多摩ニュータウンを元気にしよう!と立ち上がった老人たちを追った「多摩ニュータウンわたしの街」。93歳の教育学者大田堯を描いた「かすかな光へ」(キネマ旬報ベストテン文化映画部門第8位) 。